厭離穢土欣求浄土

無題「おんりえどごんぐじょうど」と読むそうです。
大河ドラマの昨年の真田丸、今年のおんな城主直虎でたびたび目にする言葉。
徳川家康公の馬印の旗に用いられている言葉です。
「穢れた世の中を離れ、極楽浄土に往生することを願う」という意味の仏教用語ということです。

しかし、家康公は、自分が天下を取るために戦争に明け暮れる戦国時代という穢れた時代から、民衆が殺し合うことなく、食べることに困ることのない世の中を創りたいという思いで、この言葉を用いたと伝わっています。

今よりもいい世の中にしたい。
困っている人を助けたい。
未来に人々が困らないようにするために、今すべきことを決断する。
これが政治家ですね。

戦国武将は「戦(いくさ)」のイメージを持たれがちですが、戦争のない平和な世の中を創ろうと命を削っていたり、まちづくりや制度づくりと言った政治家の要素も発揮しました。
織田信長公の楽市楽座は、いわゆる規制緩和。
豊臣秀吉公の検地は、田畑の測量を行い徴税制度の確立。
德川家康公は江戸幕府という中央官僚制度を確立しました。
まちづくりの分野で言えば・・・
武田信玄公の信玄堤は、河川反乱を防いだ治水事業。
私の好きな伊達政宗公の貞山堀は、運河として水を引き、仙台を有数の穀倉地帯に導いた農政事業。
など、戦争だけでなく、政治面での力を発揮し、この戦国大名たちは、領民に愛された人たちでした。

家康公の「厭離穢土欣求浄土」は、ただ穢れた世の中を離れるのではなく、浄土を自らの手でつくって行く決意の現れであるようです。