阪神淡路大震災から26年

阪神淡路大震災で犠牲になられた6400名を超える方々に心より哀悼の意を表します。
当時、私は大阪府箕面市に住んでいて、兵庫県三田市まで一時間半かけて通学する高校一年生。
当時は午前六時に起床していたため、目覚ましが鳴る前に目が覚めたと思った瞬間、身体が大きく揺れました。布団の中から為す術もなく、天井が揺れるのを呆然と見ているしかなかったその瞬間は、今も記憶にあります。
報道によると淡路島方面が震源地であるということで、祖父母が淡路島に住んでいたため、その安否が心配でした。当時はまだまだ固定電話が主流で電話がつながらない状況が続き、祖父母と連絡が取れたのが午後になってからでした。
家にあった水槽は倒壊し、中にいた熱帯魚の多くは命を落としました。割れた水槽の掃除を手伝いながら、テレビに目をやると、中継で神戸市が映り、見慣れていた神戸の街が戦火に包まれたような光景になっていました。
インターネットが普及していない時代、電話回線が混雑して情報が得られないため、阪急桜井駅まで自転車で走るものの、駅は人で溢れかえり、当然電車はストップ。
被災された方々に何かしたいと思い、友達と自転車で救援物資を運びましたが、この時に走った西宮から神戸にかけては、まったく別の場所になってしまっていました。
多くの尊い命が犠牲になり、また、多くの人々の心が深く傷つき、その傷は癒えず、震災が及ぼした影響は、今もなお続いています。
まもなく東日本大震災発生から十年を迎えます。また、毎年のように訪れる台風や豪雨被害により、自然災害によって、多くの方々が被災されています。
災害発生は予防できない点もあるため、防災だけでなく減災対策を進めて行くことも重要で、自然災害とは異なりますが、コロナ禍においても同じ視点が必要になります。
阪神淡路大震災や東日本大震災における反省から、命を守ることと同時に、人々の心の傷が癒えるように努めていくことは、私たち政治の責任です。
コロナ禍で、弱い立場にある人や本当に困っている人の声は、平時以上に届かないようになっています。阪神淡路大震災の発生日を機に改めてしっかりとこの声を拾って、乗り越えていきたい。